賃金労働(サクシュ)における自由とピンハネ(税金等)の根拠(2)

〈飯場〉
 40年以上前の話だが、飯場に最初に入る時はまず旅館の宿帳のようなものに名前と住所を書かされた。契約期間は2週間ぐらいだったと思う。
手続きを済ませて中に入りほかの人たちと話をしてして分ったことだけれど、私のように本当の住所名前を書いている人はほとんどいないらしかった。
中にはちょっとインテリ風の眼鏡をかけた兄さんみたいに「俺の名前かっこいいだろう」とか自慢している人もいた(そのカッコイイといっている名前が私には到底カッコイイとは思えなかったが)。
一緒に仕事をして時間が経つうちに何人かの人とは自分の個人的な話もするようになってくる。
 同じグループの中に私と同郷の人、Aさんがいた。年齢は40から50代ぐらいだったろうか。何年も帰っていなかったらしく、いろいろと故郷のことを聞かれた。住んでいたところが3~4キロ離れたところだったので町の名前などは話が良く通じたが、人の名前などは年も離れているせいもあってさすがに一人も知っている人はいなかった。同郷であることの懐かしさというのか、また私がいかにも素人然としていたというのもあるだろう、仕事に慣れない私を何かと手助けをしてくれた。
当時、足場の板は木の板だったのだが、長いものと短いものがあり、いつもそのAさんが長い方を運んでくれて、私は短い方を運ばせてくれた。もともと非力でしろうとの私にはあの長い板はかなりつらかった。セメント袋の40Kgと50Kg差も大きかった。Aさんと現場が一緒のときは少しホッとする反面、自分が場違いの素人であることが露わになるような気がして、ちょっと居心地のわるさも感じないではなかった。
 ある日、私の飯場との契約期限がもうすぐ終わるという時、(私が飯場の仕事が終わったら一度田舎に帰るという風なことを言ったのかもしれない)Aさんがお金を彼の家族に届けてほしいと言い出した。
 私の心は少しこわばった。私はAさんとはもう会うことはないだろうと思っていた。そんな私にAさんはお金を預けるべきではない。
私のその戸惑いがAさんの表情に反射するのが見えた。
私はすかさず断った。
Aさんのわずかな変化に何かを被せてもみ消すように。

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