エイブルアート

決断の連射、

間髪入れず、距離も測らず、

俯瞰ではなく、歩き回り、触りまくる。

ほとばしる行為性。

コラボレーション?、それは不可能、”これ”は”それ”を知らない。

「ねえねえねえねえ、それってなあに、それって知らない、ねえねえねえねえ、それってなあに、それって知らない、ねえねえねえねえそれってなあに、、、、、、、、、」

無関係な些細な報酬によって霧散する大量の作品(?)たち。

そして突然の遮断、造形性の許しも請わずに。

そこに造形性が見えたりするのはきっと他の誰かがトリミングをしたのに違いない。

(直接手を加えないトリミングもありうる)

しかし、

来歴の正統性は本人が証明すべきことではない。

豊かさが得られる時、

行為と偶然は矛盾しない、

偶然は行為の一連に融合し、

行為は人間の意図を離れ、偶然と同じ高みから恩恵をもたらす。

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エイブルアートがなしうる一つのこと、

それは造形性の装いを蹴散らすことではないだろうか。

 

 

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