大阪寝屋川の監禁致死事件が起きた時、たまたま私は呉秀三、樫田五郎の”精神病者私宅監置の実況”という本を読み終わったところだった。
呉秀三たちは明治の終わりにかけて行政の制度によって実行されている精神病者の私宅監置の実態を調査した。
それをすることによって、客観性、外部とのつながり、情報や方法の共有、より好ましい方法、制度の実現を目指していたのだと思う。
”家”(の中)はご都合主義の温床になるばかりではなく、人殺しも厭わない絶対的な立場関係を作り上げかねない。
しかし、家が外部から隔離されるのは家の中の都合ではなく、外部に対する家の立場といったものが隔離させる圧力として働いているのではないか。
認知症の親から目を離してしまったら、もしかして駅のホームから転落して死んでしまうかもしれない...だけではなく、JRから莫大な損害賠償の訴訟を起こされるかもしれない。