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賃金労働における自由とピンハネの根拠_寄付

寄付は嫌いだ。

寄付をしても私の手に何も残らないどころか、

むしろ残ってしまいそうなそれは、それが私由来のものであることを認めたくないような居心地の悪いものである。

その居心地の悪さを打ち消すために「寄付?それがどうした!?」と繰り返す羽目に陥りかねない。

バザーなど、何かとの交換であれば、その何か痞(つか)えた感じが少しはごまかせる感じがする(あくまでもゴマカシ)。

なんか選挙に行った時のむなしさにも似ている。

おそらく寄付という行為が自然に受け止めらけれるためには、その投資、投企がかなり現実的なものとして捉えられていなければならない。

例えばその投企投資としての寄付が失敗で終わることもあるだろう、しかしその結果が寄付をしたものにどれだけ現実的に受け止めることができるのだろう?

あるいはその社会への帰属の確実さが必要となる。