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賃金労働における自由とピンハネの根拠_悪と正義

人が悪を成すその根拠(背景)は”家”や”一族”ではないか。

悪とは法を犯す犯罪のことではなく、”人々”にとって良くないことである。

つまり悪を成す者もすでに共有している何かがあって初めて悪を成すことが可能になる。

いきなり宇宙人がやってきてどんな破壊行為をしてもそれは悪とは呼ばないし、

一人の異邦人が訳も分からず迷い込んできて、空腹に任せてスーパーの食品をお金も払わず食べまくっても、それを悪とは呼ばないだろう。

貧困で孤独な老人がコンビニで食べ物を万引きしたとしてもそれを悪とはいいがたい。

かつては法を犯すことと悪は重なっていることが多かったのかもしれないが、

今のように法が増殖して多くなって、また一部の人たちの恣意性があからさまになっている状況では法の違反と悪は関係ないものになっているのではないか。

悪の家の事情に対して、正義は全体性が前提である。しかしその全体性の不可能性が正義の弱点になる。

日本の正義は世界に通用しない。アメリカやヨーロッパ、中国、ロシアの正義も世界に通用しない。世界に通用する正義は世界全体に承認されたものでなければならない。

自分の(国の)身を守るためには政治的に自己正当化もある程度必要なのかもしれない。しかし必要以上の自己正当化、自分こそが正義であると言い張るのは馬鹿にしか見えない。

“善”はもっと限られたものである。自分の身の絶対的安全の証明行為に過ぎない。

 

 

 

 

 

物とは何か(4)

「道具、機械は高価なものであってはならない」

これは反動であろうか。

たとえそれが値段が高いものであったとしても、

その高価であるということに寄り添ってしまってはならない。

安物の道具を扱うのと同じように、自分の行為において一時的にかかわるものに過ぎない、そういう扱いでなければならない。

どんなに複雑な機械であっても、とても単純な道具を使うのと同じように自分の側が考え、動き、投企しなければならない。

高級車に乗って、それっぽい顔つきになっちゃっている奴はアホだ。

(私も高価なものを購入したその時点では結構アホになっているのだろうけど)