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賃金労働における自由とピンハネの根拠_夜

夜は美しい。
一つの灯りと、
それに照らし出されたものは
ただそのままの姿を見せているだけである。
見えるものは見え、
見えないものには言及しない。
言及されないただ暗く何も見得ないというだけのその影を携えるかのように、
私も、
私が私なりでしかない、というそのままを歩いてゆこう。

私は世界というこの川から毎日水をくみ上げなければ・・と思う。
しかし実際私の立っている舞台ではそんなことが無視されているようにも感じる。
世界とこの舞台は分かちがたいもののはずなのだが。

やがて私が降りるのはこの舞台の上からだけではない。
その客席からも立ち去ることになるだろう。
照明が照らし出すことと、観ることが区別されないがゆえに、
光の当たるということがあり得ない客席。
いつも、
ふと、暗いそこを見れば、
その席に人はいない。
人がいたのは、
忘れかけた過去の中だけだ。

だからこそ、
毎日水を汲み上げねばならない。