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賃金労働(サクシュ)における自由とピンハネ(税金等)の根拠_文化と正義

テレビでヨーロッパの上流階級の家へ嫁いだ日本人女性の取材をしていた。
上流階級とそこで維持される文化、それが私には単なる観光資源にしか見えなかった。

観光資源だけではなく”文化”は”正義”の後衛の役割もなしうる。
背後に高度な文化のある正義とそうではない正義とでは前者の方が正義としてより強いだろう。
文化によってその人の主体を認知させやすくなり、より神の側に近いところへ立たせるのではないか。
(それはより文化の発達した側の言い分に過ぎないかもしれないが)
それら”観光資源として”、”正義の後衛として”、などは文化にとって結果的に付随して得られるものに過ぎないのか、それとも文化にとってもっと本質的な動機なのか?

賃金労働(サクシュ)における自由とピンハネ(税金等)の根拠_司祭

かつて王は民に委託されて自然と対峙したと言われている。
司祭は神の言葉を民に伝え、民の願いを神に打診した。
それらに暴力、武力が付随し始めたのはどういう経緯だろうか。

他国の侵入を防ぐ?
いやそれよりも先に、
不作、飢饉、つまり王が自然に対して無力であった結果、
それを補うため、糊塗するため隣国へ攻め入り略奪する、そのための暴力ではなかったか。そして治安維持=王が生き延びるため。