二つの悲観的確信がある。
一つ、一度開けられたパンドラの箱は閉じることができないこと。
二つ目、世の中からカルトな連中がいなくならないこと。
何が災いであるか、が共有できればその災いが起きないように管理することも可能かもしれない。
問題はカルトな連中だろう。
彼らはそれが災いであることを共有できない。
無いものを有ると言い、有るものを無いと言い、出来ないことをできると言い、
新たな未だ開けられてないパンドラの箱を探し回り、自分の力の行使は常に善である(それによってたとえ人類が破滅しようとも)。
誰にもカルトの芽はあるのかもしれない。ただ異常発達しないでその都度終わっているので無害だという事なのかもしれない。
宗教がカルトの異常発育の温床になっているのではないか。