月別アーカイブ: 2016年1月

賃金労働(サクシュ)における自由とピンハネ(税金等)の根拠(4)

〈民間企業と公務員〉
「あの会社はブラックだ」とかあまりにも簡単な言い方には懸念がある。
確かにひどい会社もあるようなので、そういう会社には「ブラック」のレッテルを張り付けてやれ、と思ったりもするが。
例えば、家族や仲間と創業したての小さな会社などでは労働基準法など無視した働き方をすることもよくあるだろうしそれに対して非難するのもおかしいだろう。

また「学校の教師の働き方は民間企業で言えばブラックだ」という話を聞いたりする。
実際に教師をしている知人の話によれば、時間外勤務、仕事の持ち帰り(情報の漏えいの問題があり今は禁止されているかもしれない)休日のクラブ活動など大変そうだ。
 かつて(だいぶ前だが)「教師は聖職か否か」という議論があったことがある。
本人の意識はともかく、雇い主が神様以外である限り聖職とは言い難い。しかし学校の教師と目的が受験などに特化された塾の教師とは違う。
特に公立の場合、教師は公務員である。雇い主は国家である。
国家の目的は国土、領域の確保、安定的生産の維持と再配分と考えられ、公務員はその国家や地方行政の使命を受けて働く立場である。資本家がサクシュをするために雇うのとは違い、税金=ピンハネの中から給与を支給されながら働くことになる。(ピンハネは阿漕な方法というニュアンスがあるが、そのピンハネの割合が妥当であればサクシュ(それだけしか与えられない)よりも道義的に良いと考えられる)
 公務員は一般の人よりタテマエ、ルールに縛られているだろう。公務員でない人たちもそれらに縛られてはいるが、状況によっては反則もやむなしという感じではないだろうか。
 ルールはどんどん多くなり厳密になってゆくように見える。公務員の人たちはこれからどんどん窮屈な思いを強いられるのではないだろうか。
 それに伴い、違法性ロンダリング、反則代行業のようなルール違反の需要も大きくなってゆくだろう。それらは公共機関から民間企業、大企業から零細企業、お金持ちから貧困者へと発注されるようになるだろう。
 

 

賃金労働(サクシュ)における自由とピンハネ(税金等)の根拠(3)

都会と田園 —野口雨情

「家鴨」

うしろの田の中に家鴨の子が
田螺《たにし》を拾つて喰つてゐると
雁《がん》が来た

一所に連れてつてやるから
勢一杯翼《はね》をひろげて飛んで見ろと
雁が云つた

家鴨の子は一生懸命飛んで見たが
体が重くてぼたりぼたり落ちて了ふ
雁は笑ひ笑ひ飛んで行つて了つた

家鴨の子は泣き泣き小舎《こや》の前に帰つて来た
親家鴨は
桶の中へ首を入れて水を呑んでゐた

子家鴨は
別な良《い》い翼をつけて呉れろと
大声で泣いてゐる

親家鴨は仕様なしに
そつちの方を向いて
聞えぬ振りをしてゐた

青空文庫より

(この詩は”家鴨”を使って”人間”を表現しているという面では〈意味〉しか残さないが、”人間”を使って”家鴨”を表現しているという面では家鴨の様子が生き生きと伝わって来る。)

(搾取とは)
〈マルクス経済学では、生産手段をもたない生産階級(労働者など)が生産する労働生産物(商品やサービスなど)のうち、その生産者が社会的に生存していく のに必要な労働生産物以上の生産物(剰余生産物やサービスの一部)を、生産手段を所有する非生産階級(資本家など)が無償で取得することをさす。 〈wikipedia〉〉

マルクスの”搾取”にたいしてその日本語訳には不適切が指摘されている
(『資本論』における搾取, 利用, Exploitation)では
exploitation=駆使 の方が適切ではないかと言っている。

(ピンハネとは)
〈ピンハネの「ピン」はポルトガル語で点や1を意味する“pinta”の略、「ハネ」はかすめ取るという意味の“撥ねる”の略。つまり、ピンハネとは利益の一部を先に取ることを意味する。〈日本語俗語辞書〉〉

土地や生産手段を持てないことは反面、持たない、土地に縛られないという自由でもある。
その自由は賃金労働によって維持される。
しかしその”自由”は少し惨めな感じもする。
賃金労働がなければ、難民である。飢えて死ぬか、盗賊として生きるか。
(かつて日本では農民が土地を捨てて(土地に捨てられて)武士(軍人)になっていった歴史もあった)

貨幣は地位ではないので”手元にお金がある”という事でしか何も保障されない。
唯一、お金を使う時の一瞬の快感、買う人売る人の揺るがない関係、一時だけ成立する階級制度のような、その場限りの安定があるだけである。

かつて自分(達)のことを労働者階級と呼ぶ人たちがいたとすれば、その帰属意識は、その惨めさを払しょくするのにも役立ったのに違いない。

 お金、何とかその波=塊を捕まえようとするがうまくゆかない。
まるで粘性の無い液体のように、掬うこともかなわず、時とともにさらさらと零れ落ち、地面の中に吸い込まれてゆくかのように。
 常に働くこと、他人の作った意味があるのかないのかわからないようなめんどくさい手続きをこなしてゆくこと。

お金がすべてではない。では何があるのか。そのことを賃金労働者に陳腐さなしに、または悪の露出なしに説得は可能なのか。

 

賃金労働(サクシュ)における自由とピンハネ(税金等)の根拠(2)

〈飯場〉
 40年以上前の話だが、飯場に最初に入る時はまず旅館の宿帳のようなものに名前と住所を書かされた。契約期間は2週間ぐらいだったと思う。
手続きを済ませて中に入りほかの人たちと話をしてして分ったことだけれど、私のように本当の住所名前を書いている人はほとんどいないらしかった。
中にはちょっとインテリ風の眼鏡をかけた兄さんみたいに「俺の名前かっこいいだろう」とか自慢している人もいた(そのカッコイイといっている名前が私には到底カッコイイとは思えなかったが)。
一緒に仕事をして時間が経つうちに何人かの人とは自分の個人的な話もするようになってくる。
 同じグループの中に私と同郷の人、Aさんがいた。年齢は40から50代ぐらいだったろうか。何年も帰っていなかったらしく、いろいろと故郷のことを聞かれた。住んでいたところが3~4キロ離れたところだったので町の名前などは話が良く通じたが、人の名前などは年も離れているせいもあってさすがに一人も知っている人はいなかった。同郷であることの懐かしさというのか、また私がいかにも素人然としていたというのもあるだろう、仕事に慣れない私を何かと手助けをしてくれた。
当時、足場の板は木の板だったのだが、長いものと短いものがあり、いつもそのAさんが長い方を運んでくれて、私は短い方を運ばせてくれた。もともと非力でしろうとの私にはあの長い板はかなりつらかった。セメント袋の40Kgと50Kg差も大きかった。Aさんと現場が一緒のときは少しホッとする反面、自分が場違いの素人であることが露わになるような気がして、ちょっと居心地のわるさも感じないではなかった。
 ある日、私の飯場との契約期限がもうすぐ終わるという時、(私が飯場の仕事が終わったら一度田舎に帰るという風なことを言ったのかもしれない)Aさんがお金を彼の家族に届けてほしいと言い出した。
 私の心は少しこわばった。私はAさんとはもう会うことはないだろうと思っていた。そんな私にAさんはお金を預けるべきではない。
私のその戸惑いがAさんの表情に反射するのが見えた。
私はすかさず断った。
Aさんのわずかな変化に何かを被せてもみ消すように。