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エイブルアート(2)

 

1)明朗な意味/無意味

叩くように....、”意味”はそんな乱暴なあつかいで良いのかといいたくなるほど、

何かが、例えばクレパスで文字を書き連ねた時それが言葉(意味)に置き替わる、その一瞬にこそ意味(意義)があるのだろう。

後に何かを引きずって残すという事はない。

だから意味は視点が移動することを引き止めたりはしない。

視点は自由に飛び跳ねるように動き回ること循環することが可能だ。

 

2)快い不作法

ヅカヅカと横断してくる。

あるいは背を向けたまま下を向いたまま小さく小さく向こう側へ、反対側へ書き連ねてゆく(こちらの言うことが聞こえているのかいないのか)。

いずれにしても人の言うことに耳を貸さないといった様子。

しかし何故、不作法を”赦す”以上に”快”なのか。

考えられる理由として、

2)-1)見る側の、作法自体が不作法の揺さぶりによって維持されているという意識。

作法は物理、場、他者性を基礎としてある階級の中でしかるべくしてできあがって、熟成してきたものである。だから場の個別性、階級の歴史的社会的変化によって作法も変更されざるをえない、という意識が不作法の乱入を歓迎するのかもしれない。

2)-2)そもそも今その作法に従っている個体自体がその作法から落ちこぼれようとしているのではないか。彼の無意識では作法に対する信仰はすでに崩れ落ちつつあるのにそれが意識できないままでの不作法への出会い。

「エイブルアートは作法を知らない」、ただそれだけのことなのだが。

3)振り返ることなき奔走

紙に白地が残っている限り、先に自分で書いた上に次の鉛筆が重ならない限り、その行為の痕跡(=行為)は明瞭である。振り返らない、迷わないことによってその明瞭性が高まる。

おそらく造形性の難題はその先(痕跡の重なり始めた以降)にあり、その難題の泥沼に沈んだ者から見れば、自由な白地の中での奔走は羨ましいのではないか。

歯磨きしてから寝ろよ

歯磨きしてから寝ろよ

 

 

花

 

クルミ

クルミ

さちこのさ

さちこのさ

 

 

 

 

エイブルアート

決断の連射、

間髪入れず、距離も測らず、

俯瞰ではなく、歩き回り、触りまくる。

ほとばしる行為性。

コラボレーション?、それは不可能、”これ”は”それ”を知らない。

「ねえねえねえねえ、それってなあに、それって知らない、ねえねえねえねえ、それってなあに、それって知らない、ねえねえねえねえそれってなあに、、、、、、、、、」

無関係な些細な報酬によって霧散する大量の作品(?)たち。

そして突然の遮断、造形性の許しも請わずに。

そこに造形性が見えたりするのはきっと他の誰かがトリミングをしたのに違いない。

(直接手を加えないトリミングもありうる)

しかし、

来歴の正統性は本人が証明すべきことではない。

豊かさが得られる時、

行為と偶然は矛盾しない、

偶然は行為の一連に融合し、

行為は人間の意図を離れ、偶然と同じ高みから恩恵をもたらす。

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エイブルアートがなしうる一つのこと、

それは造形性の装いを蹴散らすことではないだろうか。

 

 

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